静岡にいた頃。
イトーヨーカドーのすみやで、何を買うでもなくDVDをみていた。
「なっ、何だこれは?」という衝撃とともに耳に飛び込んできたのは、
揺らぐ裏声の、ジャンル分け不能な、何故か懐かしい曲だった。

 最後まで聴き入った。
聴き終わったあとも、そのインパクトの余韻に浸っていた。
そうこうしているうちに何曲も流れ、店員に問い合わせるタイミングを
逸してしまった。

 マンションに帰ったあと、ありとあらゆる視聴サイトにアクセス。
まだランキングの上位にきていなかったので、見つけるのに20分程要した。
名前は「元ちとせ」曲は「ワダツミの木」。しかし、何者なんだ?
そう思い Google で調べてみると、一度は美容師になろうとした奄美大島の
彼女のことを少し知ることができた。


 オレのパソコンには4000曲近く音楽が入っている。
しかし、このキャンプ中聞いていた曲は5割ぐらいが元ちとせだった。
何故だろう。

 新しいのに古い。古いのに古臭くない。 古くない。
母親の力強さの中に、少女のか弱さ。自然の匂いがするのに都会的。
満たされているのに寂しい。寂しいのに情熱溢れんばかり。何なんだ。
自己の中にあらゆるアンチテーゼを兼ね備えているこの歌姫の魅力が
分析不能。そして、それが魅力。

 元ちとせの唄を聴いていると、幼少の記憶が甦るとともに、
今後オレはどうなっていくんだろう...という二つの時間が喚起される。
聴いているオレは子供であり、親でもある。子孫であり、祖先である。


 そうか、何となく解ってきた。
このひとは連綿と続く歴史の流れのなかに自然に溶け込んでいるんだ。
時間や空間の座標で、点ではなく、線、面、いや立体で存在している。
だから曲のリリースのタイミングは関係なく、常に新鮮で懐かしい。
余計に解らなくなってきた。

 1/f 。
周波数だけでは説明し切れない元ちとせの魅力はこれからも注目だ。

                     つづく

↑誰だオレ?