「Verde(ベルデ)」は直訳すれば「緑」だ。
しかし、日本人の感覚では「青」だとも言える。
もともと日本語では「青」の中に「ブルー」も「グリーン」も含まれていた。
「青信号」もほとんどの外国人は「緑信号」とそれぞれの言語で呼ぶ(※注1)。

 「青二才(※注2)」などのように、青い果実が「未熟」であるという意味でも
その色が使われる。そこはスペイン語と共通。モンゴロイドの日本では蒙古斑も
ちょいとそのイメージに影響してるか。

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 白髪だが、若々しい。
ポワロー(リーキ)をそういう人の例えに使われたのは5世紀ほど前のスペインだ。
白い頭に青い身体。これは、新緑などの若々しく瑞々しい「青」。
「木々が青々と茂っている」の「青」。

 これが本来の「Viejo verde(ビエホ ベルデ。viejo=老人)」。褒め言葉だ。

 しかし、そのフレッシュさに半人前なヤツらが嫉妬したからか、いつの間にか
「ビエホ ベルデ」のイメージが、「エロ親父」「助平親父」、年甲斐もなく若く
青い果実をもとめるというような、ネガティヴなものへと変わっていった。

 そして、その色はそのまま下ネタを指すようになった。
チステ ベルデ(chiste:ジョーク/verde:緑。つまり、グリーンジョーク)
日本人にとっては「ピンク」とでもいうべき部類だ。

 若い娘が聞くと頬をぽっと赤らめるという理由でそれまで呼ばれていた
「赤いジョーク」という表現は忘れられていった(まだ、ペルーなど、一部の
スペイン語圏の国では使われているが)。

 ちなみに韓国・イタリアも「赤」らしい。理由は同じなのだろうか。
アメリカは「ブルー」(検閲のとき、昔は青鉛筆でチェックしていたそう)。
フランスは妖しい「白」。中国は何故か「黄」。
という風に、国によって様々である。

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 で、結局これで解るのは、普遍的なものはないということだ。
説明をすれば、ある程度理解できるものだとしても、国、地域、文化によって、
色が持つ意味が変わるということだ。

 これは、色だけではなく、物、ゼスチャーや記号などでも同じだ。
だからオレは夢分析や心理学の象徴は、その学者が生活している、あるいは研究している
文化限定だと思う。例えば、ある植物がある国では観葉植物、ある国では食用、また
別の国では薬用だったら、そのイメージはかなり違うものになると思う。

 まあ、その違いを楽しむのも面白いし、他文化を理解するヒントにもなるから
いいか。

                   つづく


※注1:実際、現在の日本の信号は色盲のひと達のために「グリーン」より
   「ブルー」に近い色で作られている。昔の日本もそうだが、ほとんどの
    国では思いっ切り「グリーン」。

※注2:青=未熟な果実などのイメージ。
    二才=ボラの稚魚などを「二才魚」などと呼んだため。
    だそうだ。
 今回はR-15ぐらいの指定か。
ちょっぴりエッチなチステをどうぞ。


◆とある眼科の名医が、素晴らしい手術の末、ある女性の視力を取り戻した。
芸術大学の学生であったこの女性の彼氏が、感謝の気持ちを込め、
眼科クリニックの一番広い壁に巨大な目の絵を描き始めた。
この大作を仕上げるために、彼は何日もクリニックへ通った。
そして、医師は制作中の彼のところを通る度に、
「ああ、良かった。ああ、良かった」と繰り返していた。
来る日も来る日も、
「いやあ、良かった。ホントに良かった」と言っていたので、彼氏が
「そんなに、良かった良かったと言われますと、感激します。
そんな大げさなものではないですよ」と照れた。
そこで、医師がしみじみとこう言った、
「いやあ、自分が産婦人科医でなくて良かった。ホントに良かった...」

◆「先生、僕の股関節の手術の方はどうでした?」
「あ、あぁ... 悪い知らせと、いい知らせがあります」
「悪い方は?」
「間違って、睾丸を両方とも摘出してしまいました」
「えぇっ!信じられない... そして、いい知らせとは?」
「摘出ついでに検査をしましたら、睾丸には異常は見つかりませんでした」

◆タイタニックが沈没しようとしていた丁度そのときのことである。
船長が部下に指示を出す。
「早く!その窓を割って、救命ボートで脱出しよう!」
「でも、船長... まだ女性が船に残っています」
「こんな状況で、セックスのことなんて考えられない!急ごう!」

◆ある記者がぁ、山のふもとでぇ、部落の若者にぃ、出会ったぁ~。(←古いか?)
そして、現地の生活についてインタヴューを始めた。
「この部落特有のエピソードを教えて下さい」
「ある日、群から山羊が一頭はぐれた。我々がとった行動は、
この部落の習慣に則ったものだった。男ども全員で酒を飲み、
山へ向い、山羊を探した。見つけると、また酒を飲み、
全員で山羊と交わった...」
「えっと、これはゴールデンタイムで紹介するレポートなので、
少し質問を変えよう。え~、この部落での楽しいエピソードを
教えて下さい」
「ある日、部落の若い女性が山で迷子になった。我々がとった行動は、
この部落の習慣に則ったものだった。男ども全員で酒を飲み、
山へ向かい、女性を探した。見つけると、また酒を飲み、
全員でその女性と交わった...」
「ごほん... テーマを変えよう。
この部落での悲しいエピソードを教えて下さい」
とつぜん溢れ出してきた涙を拭いながら、若者が語り始めた。
「ある日、オレが迷子になった...」


 本日は以上。
                    つづく



※タイトルの解説は次回
 で、あそこには酔っ払いがすんでいて、子供をいじめるんだ。
ゴリラもいる。ゴリラは、その近くを通る女のひとをさらっていくんだよ。


 小学校低学年の頃、4つ年上の近所の兄ちゃんに聞いた話の一部。
日本人会のイベントがあり、大人が活動しているとき外で遊んでいたオレらを
集めて、現在は歯科技工士になっている兄ちゃんに聞かされた物語がこれだ。
15人ぐらいの子供はいただろうか。みんなで真剣に聞いた。これは、兄が
たまに釣りに行っていた小川の奥にある、オレらがボスケ(bosque - 森)と
よんでいた場所のことだ。木が生い茂っている、地主がいるのかどうかも
当時のオレらには良く判らない一帯だった。

 ゴリラはいないだろう、さすがにそれは作り話だ。
そうは思っていても、酔っ払いの方はもしかしたらいるかも知れない。
創作と現実が交錯するなかでの好奇心。それじゃ、酔っ払いを見にいこう。
と、後日友達6~7人で確認することにした。探検だ。
酔っ払いがもし現れたら、みんなで逃げよう。


 小川まで行く。
流れが細いところを探し、勢いをつけてひょいと飛び越える。
ジャンプしきれないでハマったヤツらを笑いながら進む。
その先が、酔っ払いがいるかも知れないボスケだ。

 ボスケに入ると、見たことがない白くデカいキノコが生えている。
気温がぐっと下がったような気がする。ドキドキしながら歩いていると、
地面がどんどん抜かるんでくる。まるで湿地帯だ。木がたくさん生えているので
遠くまで見渡せないが、酔っ払いは見当たらない。そのうち、薄暗くなってきた。
何故かテンションが上がってきて、バカな話をしながらしばらく木々のあいだを
ぐちゃぐちゃと進むと、雨が降ってきた。雨具などもちろん準備をしていない
オレらは、当り前のようにそれを浴びるしかなかった。

 結局、酔っ払いにもゴリラにも会うことはなかった。
雨の中、一番近くに住んでいるヤツの家まで走って帰る。ちょいとした距離だ。
そこで、泥だらけのオレらはみんなでお風呂を借り、わいわい騒ぎながら入った。
緊張が解けた瞬間だ。これがその日の一番の思い出。


 「スタンド・バイ・ミー」を初めて観たときに感じたのは、懐かしさだった。
周りのものすべてが大きく、恐ろしく、そして美しく感じられたあの頃。
今、同じところへ行っても、多分ただの散策。

 久しぶりに冒険でもしてみたい気分だ。   どんな?

                    つづく
 鳥栖戦。
通訳12年目で初の完全“メンバー外”。
選手もスタッフもオールジャパニーズ。


 当日の午前中は試合に登録されてない選手達の練習。活動。
それが終わったら、メンバーとは別でスタジアムへ行こうかな。
そう思っていたが、直前にバスに乗ることを決める。しかし、
移動着を持ち合わせていなかったので、練習着でこっそりと。

 スタジアムに着く。
試合着に着替えて、5と8のサイン会へ。活動。
サインし易いよう、シャツを引っ張るだけだったが、活動。
それが終わり、いよいよ試合だ。外国人選手が日本人選手と試合を
観ながら会話しているのだったら、そっちで必要かな、と観客席へ。
しかし、外国人選手が一列に並んで座っていた。何か手伝えることが
あるかも知れない、とグラウンドへ降りる。

 う~ん、みんな仕事してるなぁ。
取りあえず、スタンバイの気持ちでベンチのそばや。
45でミッキーのアイビームを感じる。アイス等が入っているミクロな
ミニ・クーラーボックスを欲しがっていたので、渡した。それだけ。
ハーフタイム。何か手伝えることがあるかも知れない、と控え室へ。
特に必要とされない。邪魔にならないよう、静かにしてる。

 後半キックオフ。
することがないので、少しそわそわしてきた。
じっとしてはいるが、落ち着きがないぞ、オレ。

 後半の途中。
ええい、こうなったら応援だ。やっと活動。か?
今日はもう仕方がない、オレにできることは応援だ。
そして、ホーム初勝利。応援しがいがあった。


 しかし、自分のペースが掴めない一日だった...
次からは絶対に誰かしらメンバーに入っていておくれ。

                    つづく
 言葉では伝えきれないものがある。
「空気」とでも呼べばいいのだろうか。
一番実感したのが、三回目に行ったイグアスの滝だ。

 一回目は干ばつのときのブラジル側からだった。
パラグアイにいる親戚の家から5時間ぐらいかけて行ったが、ちょろちょろ。
滝に行き着く前にレストランで食べたチキンライスはまあまあだった。
パラグアイからラ・プラタに帰るときは、まだ橋の架かっていなかった
パラナ河を船で渡り、アルゼンチンへ。その後、ミスィオネスのポサダス空港から
ブエノス・アイレスのホルヘ・ニューベリ空港へ、というルートだった。
船が遅れ、動き始めていた飛行機を待機させ、滑走路をジープで走り、乗り込んだ。
ちょっとアクション映画っぽいその状況に小学生のオレはかなり興奮。

 二回目もブラジル側から壮大な滝を正面からみた。水も十分。美しい。
遊歩道のところに、今回も変な動物(ハナグマ)がうようよいる。
でかいトカゲも日向ぼっこ。

 そして、三回目。
始めてアルゼンチン側からもみる。
泊まったホテルからすぐ近くのジャングルの中にある大小様々な滝の上を、
そこにまたがる無数の橋を使い巡ることができる。マイナスイオンの洪水。
かなりの癒しだ。

 船で滝のすぐ近く、ほぼ真下まで行くツアーもある。
滝の水を浴び、びしょびしょになるツアーだ。そのとき一緒に乗った日本人の
おばちゃんが白いビニール袋をかぶり、無駄な抵抗をしていた。
袋ごとびしょびしょだ。


 ガルガンタ・デ・ディアブロ(悪魔の喉笛)も見てきた。   ここだ。
イグアス最大級の滝のひとつで、形はUの字。
人間が扱うことが不可能だと思える量の水が轟々と落ちて行く。
攻撃的ともいえる猛々しい音に包まれ、それを皮膚で聞く。
そして、無になる。

 炎をみているときと同じように、いつまでも見ていられる。
いつまでも見ていたい。

 あそこに落ちたらひとたまりもないんだろうな。抗う可能性は皆無。
人間ってなんだろう。ちっぽけだな。そんなことすら頭をよぎらない。
その桁違いのスケールに、ただただ圧倒される。
荒々しくも美しい自然の猛威。

 帰る頃には、気持ちがすっきりしている。


 南米に行く機会があれば、ぜひ寄ってみることをお勧めする。
ブラジル側の絵葉書になるパノラマと、アルゼンチン側の迫力。
どうせなら、両方見ておこう。

                    つづく